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キリスト CHRIST

ヨハネの福音書20章19−31節

よく知らない町にいて、携帯電話をなくしてしまったと想像してください。まだ一度も行ったことがない場所に行かなければならないのに、どうやってそこに行ったらよいか分かりません。目的地にたどり着く方法として、二つ思い浮かびます。

まずは、道を尋ねることができます。「29番バスに乗って、古いセメント工場を通り過ぎた二番目の停留所で降りて、三番目の通りを左に曲がって、橋を渡って、広場を横切って、地下道を通っていくと右側にあります」と教えてくれる人がいるかもしれません。

もう一つの方法は、タクシーに乗ることです。運転手に目的地を教え、乗り込むだけです。

さて、最初の方法の場合、バスに乗った直後に、あなたに道を教えてくれた男性が心臓麻痺で急死したとしましょう。このような悲しい出来事があっても、あなたの旅は妨げられません。なぜなら、すでに道順を教えてもらっていたからです。

しかし、タクシーに乗っていたとすれば、古いセメント工場を通り過ぎたところで、運転手が心臓麻痺で急死したらどうなるでしょうか?あなたは完全に行き詰まってしまいます。目的地までの道順を知らず、頼りにしていた人はあなたをそこに連れていくことができません。

キリスト教の核心は、一連の指示ではなく、私たちを天国に連れて行くイエスの能力にあります。あなたは新約聖書の教えで救われるのではありません。あなたを救ってくださるのは、イエス・キリストです。キリスト教が立つか倒れるかは、イエスが約束したことを実行できるかどうかにかかっているのです。

私たちを父のみもとに連れて行くことができると、イエスは私たちに語っています。そして、タクシーの運転手のように、「さあ、乗りなさい」と私たちを招いてくださいます。そこで、私たちは決断を求めらます:自分の運命をイエスに委ねる用意ができているだろうか?

あなたは陪審員です

ヨハネの福音書が書かれたのは、「イエスが神の子キリストであることを、あなた方が信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」(ヨハネ 20:31)と記されています。

陪審員として裁判に列席していることを想像してください。使徒ヨハネは証拠をいくつか提出し、その後、あなたが評決を下すことを望んでいます。

ヨハネはあなたを脅すつもりはありません。あなたの感情に訴えることもません。イエスの生涯、死、復活の直接の目撃者として、彼が見たこと聞いたことを証拠として提出します。ヨハネが求めているのは、あなたが証言を聞くことだけです。「来て、見なさい」(ヨハネ 1:46)。

イエスはキリストです

キリスト教信仰の核心を一文にまとめなさいと言われたら、あなたは何と言いますか?ヨハネは、信仰の神髄をたったの四単語に煮詰めて表現しています:「Jesus is the Christ(イエスがキリストである)」(20:31)。ですから、キリストという名前が何を意味するのかを知ることは、とても重要です。私たちの主が誕生の時にイエスと名付けられたことを私たちは知っています。では、なぜ私たちは彼をイエス・キリストと呼ぶのでしょうか?

英語のChrist(キリスト)は、ギリシャ語のChristosに由来します。これは「メシア(救い主)」もしくは「油注がれた者」という意味です。キリストとは、約束された人につけられた称号であり、神によって油注がれた者を指すのです。旧約聖書で油注がれた人についてざっと振り返ってみると、その重要性を理解する助けとなるでしょう。

聖書の物語全体を通して、神は、私たちが神を知ることができるようにご自身を明らかにし、私たちが神のもとに行けるようにご自身と私たちを和解させ、神の目的が成就するように世界を統治しておられます。旧約聖書では、これらのこと、すなわち預言者、祭司、王として神が用いられる人の印として、その者に「油を注がれ」ました。

旧約聖書の物語が進んでいくにつれて、神がいつか、最高の油注がれた者をこの世に遣わしてくださるという期待が膨らんでいきました。しかし、神が油注がれた者は、預言者、祭司、王のいずれかである可能性があったため、メシアに関する様々な異なる期待が生じていったのも、容易に理解できます。メシアは人々を義へと導く預言者だと考える人もいれば、真の礼拝を再構成してくださる祭司を待ち望む人もいました。さらにまた、政治的な蜂起を指導して、ローマ帝国の抑圧から人々を解放する自由のための戦士だと確信する人もいました。

しかし、イエス・キリストが世に来られたとき、一つだけでなく旧約聖書にあったすべての役目を果たされました。父なる神は御子にこう告げました、「行って、彼らの預言者になりなさい。行って、彼らの祭司になりなさい。行って、彼らの王になりなさい」。イエス・キリストは神が油注がれた者であり、ヨハネは、イエスが神の真理を明らかにし、人々と神を和解させ、神の敵に勝利する者であるとする証拠を私たちの前に並べています。

証拠の検証

ヨハネはイエスがキリストであるとする証拠を並べます。イエスは、すべての心と命の秘密を知っている預言者です。サマリアの女について隠されていた真実を知っていました。イエスに出会って、彼女は友人に言いました、「来て、見てください。私がしたことを、すべて私に話した人がいます」(ヨハネ 4:29)。しかし、イエスは預言者以上の存在でした。この女性が、「私は、キリストと呼ばれるメシアが来られることを知っています」(4:25)と言ったとき、イエスは言われました、「あなたと話しているこのわたしがそれです」(4:26)。

イエスは、私たちの罪のための生け贄としていのちを献げてくださる祭司です。バプテスマのヨハネがイエスのことをこう告げています:「世の罪を取り除く神の子羊!」(1:29)。しかし、イエスは祭司以上の存在です。ヨハネの弟子の一人であるアンデレが、イエスについて行くようになったとき、彼は兄弟のペテロにこう告げました:「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」(1:41)。

イエスは私たちの敵から、私たちを救ってくださる王です。ある時、イエスは四日前に亡くなっていたラザロの墓に行き、言われました:「わたしはよみがえりです。いのちです」(11:25)。そして、亡くなったラザロの姉妹に、「このことを信じますか?」と尋ねました。彼女はイエスに言いました、「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストであると信じております」(11:27)。 それから、「イエスは大声で叫ばれた。『ラザロよ、出て来なさい』(11:43)。すると、「死んでいた人[ラザロ]が…出てきた(11:44)のです。イエスは、死と地獄という暴虐から私たちを救うことができる王なのです。

イエスが預言者であり、祭司であり、王であることを知ったとき、イエスを信じるということがどういうことかが分かります。イエスを信じるとは、預言者としてイエスが語る言葉を信頼し、真実として受けとめることです。また、祭司としてイエスが、私たちを神の臨在のもとへ連れて行ってくださると信頼することです。さらに、王としてのイエスに私たちが服従し、イエスの権威と統治のもとに生きることを意味します。

豊かないのち

イエスがキリストであることを信じるとき、あなたの人生は完全に変わります。信じることによって、「イエスの名によっていのちを得る」(20:31)ことができます。イエスは、ご自身だけが与えることのできる豊かないのちについて語られました:「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです」(10:10)。これはどういうことでしょうか?

聖書の物語の初めで、アダムとエバは恐れや不満のない人生を楽しんでいました。彼らは、美しい環境のもとで意味のある仕事をしていました。そして何よりも、エデンの園で彼らと共に歩いてくださった神の存在と交わりを楽しんでいました。彼らは豊かないのちを持っていましたが、それを失ってしまいました。そして、私たちは、彼らの楽しみを知ることがありません。

イエスは病、危険、災害、死などが存在するこの堕落した世界から私たちを救うために来てくださいました。そして、今から永遠に続く豊かないのちへと私たちを導き入れてくださいます。信じることによって、私たちはイエスの名によってこのいのちを得ることができるのです。

驚くほどの素晴らしさ

しばらく前に、妻のカレンと私は、シカゴ交響楽団がゲスト・ソリストを迎えて演奏するのを聴く機会がありました。曲目はチャイコフスキーで、本当に驚くほどの素晴らしさでした。

ソリストは、弓がバイオリンに火をつけるかのような情熱ある演奏をし、最後には、聴衆がスタンディング・オベーションを送りました。そうせずにはいられない素晴らしさだったのです。喝采は絶えることがなく、鳴り止まないので、ソリストはバイオリンを高く持ち上げて、アンコール曲を演奏してくれました。そして、さらに大喝采となりました。

休憩時間に外に出たときも、興奮はおさまらず、聴衆はみな歓喜の声を上げていました。しかし、ロビーにいた一人の老人は、アンコールに腹を立てていたようでした。そばを通ったときに、彼の言葉が耳に入りました:「30年もここに来ているが、こんなのを見たのは初めてだ。全く気に入らない」と、彼は言っていました。「何だって、こんなことをやらないといけないのだ!」

私は自分を抑える必要がありました。彼の周りにいる何百人もの人が立ち上がるほどの素晴らしいものに接していながら、何ら特別な思いを持たなかった男性がここにいたのです。彼はいったい何が気に入らなかったのでしょう?

福音書を読み進めてきた私たちは、本当に素晴らしいものに触れてきました。息をのむような神の計画の進展を目にしました:神の御子が受肉し、私たちの敵に立ち向かい、犠牲としていのちを献げ、死からよみがえり、天に上って行かれました。その結果、私たちはイエスの名を信じる信仰を通して永遠のいのちへと導かれるためです。

イエスがキリストであるという主張に向き合い、福音を提供されていながら、何ら特別なものを聞かなかったかのように立ち去ることほどの悲劇はありません。福音書が書かれたのは、「イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」(20:31)のです。

開かれました

キリストという名前は、「メシア(救い主)」、もしくは「油注がれた者」という意味です。旧約聖書では、神が預言者、祭司、王に油を注いで、この世での神の目的を進めて来られました。これらの人々は、自分たちが表すことしかできなかったことを、完成してくださる方を指し示していました。

福音書は、イエスがキリストであるという証拠を提供し、イエスが、古代の預言者、祭司、王たちの役割をいかに独特のやり方で果たしているかを私たちに示しています。歴史の最重点は、イエスというお方の中で、神ご自身が人となられたということであり、イエスを通して、神の約束がすべて成就されることです。

ヨハネの福音書20章19−31節

弟子の前に現れたイエス

20章19その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」20こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。21イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」22こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」

イエスとトマス

24十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。

26八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。27それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」28トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」

この書の目的

30イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。31これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

これらの質問を使って、神の御言葉にさらに触れてみてください。他の人と話し合ったり、自分自身を探るための質問として使ってみてください。

1もしあなたが陪審員だったとしたら、イエスについてのどのような証拠が最も説得力がありますか?
2聖書で「イエスはキリストである」と書かれているのは、どういう意味ですか?
3イエス・キリスト信じるとはどういうことですか?あなた自身の言葉で表現してください。
4もし、あなたが持っているものがイエスの教えだけだったなら、それだけで天国に入ることができますか?それはなぜですか?
5イエスが与えてくださる豊かないのちと、私たちがこの世で普通に経験する命との違いは何ですか?
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