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救い SALVATION

創世記6章5−22節

あなたが生きるために知る必要があるすべてのことは、次の二つのことを確信することから始まります:神が誰であるか、そしてあなたが誰であるかを知る必要があります。これらを正しく理解すれば、あなたは生きるための強固な基盤を持つことができます。それらを誤って理解すれば、あなたはやがて漂流してしまうでしょう。

これらの真理は、聖書的世界観の根底にあります。世界観とは、どのように考え、どのように生きるかを決定するいくつかの信念、もしくは確信によって形作られます。人がそれぞれ非常に異なるライフスタイルを選択するのも、神が誰であるのか、そして自分が誰であるのかについて、確信していることが異なっているからです。

自分の人生が偶発的なものであり、それは自分のものであり、そして良い贈り物は偶然によってもたらされると信じるならば、あなたの人生は自分に忠実であることを中心に展開します。神があなたを創造され,すべての良い贈り物は神の手からもたらされると信じるならば、あなたの最も深い喜びは神を知り、神に従うことになるでしょう。

そして、死んだら自分は存在しなくなると信じているならば、自分の人生の目的は充実感を得ることだと感じるのは自然なことでしょう。しかし、現世での短い人生の後に、自分を造ってくださった神に会うと信じるようになれば、そのときのための準備をすることが最優先となります。

これらは二つのまったく異なる世界観であり、両方ともが正しいことはあり得ません。これらの信念は、人生の方向性を決める船の舵のようなものです。今日、あなたの心の奥底で形成された信念が、明日のあなたの在り方を決定します。

同じスタート地点、異なる方向

初めから、人間の家族は神に対してどう反応するかで分けられてきました。アダムとエバには二人の子供がいました。そして、世界の最初の兄弟はそれぞれの船の舵をまったく異なる方向に向けました。アベルは神を求めましたが、カインは神に反抗し、彼の怒りは弟に向けられました。最終的に、カインはアベルを殺し、世界初の殺人者となってしまったのです。

カインはその行動によって、神からも家族からも孤立してしまいましたが、神は彼を深く憐れみました。カインは素晴らしい業績を残すことになったのです。彼は都市を建設し、彼の子孫は音楽、芸術、そして文化に多大な貢献をしました。しかし、神から離れた人生は落ち着くことがなく、絶えず不安を抱えながら生きていました。

アベルの死後、神はアダムとエバにもう一人の息子を与えました。彼の名前はセツでした。そして、聖書の物語はセツの子孫に焦点を当てて語られていきます。

すばらしき主の恵み

私たちは聖書を通して、神が恵みによって、信仰を通して、そしてキリストのうちに人々を救うために手を差し伸べてくださっているのを目にします。そのパターンは、ノアの物語の最初の部分で確立されています:「ノアは主の心にかなっていた」(創世記 6:8)。

神はノアに対して憐みを示されました。第一に、審判の時が迫っているとノアに警告し、そして第二に、そこから救われるために必要なことをノアに告げました。「あなたは自分のためにゴフェルの木の箱舟を造りなさい」(6:14)。

聖書における審判の警告は、報復的な神による怒りの爆発ではありません。愛なる神の恵みに満ちた呼びかけなのです。「わたしは悪を滅ぼさなければならないし、必ず滅ぼす。しかし、わたしはあなたを滅ぼしたくはない。あなたが脱出するための方法を教える。」と神は言っておられるのです。

行動を伴う信仰

神はノアに前例のない洪水に備えるように言いました。同じように、神は私たちに、今まで起こったことがないことに備えておきなさいと言われるのです。イエス・キリストが生きている者と死んでいる者を裁くために再び来られます。

信仰は、神が言われたことを信じることであり、それは行動に現れます。ノアの信仰の証拠は、彼が箱舟を造ったということに現れています。ノアは神が言われたことを信じ、それに基づいて行動しました。「信仰も行いを欠いては死んでいるのです」(ヤコブ 2:26)。真の信仰は、従順の実が豊かに実る生きた木なのです。

イエスは、比較のためにノアの物語を用いました:「人の子の到来はノアの日と同じように実現するのです。洪水前の日々にはノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。洪水が来て、すべての人をさらってしまうまで、彼らには分かりませんでした。人の子の到来もそのように実現するのです」(マタイ 24:37-39)。

食べること、飲むこと、結婚することは、すべて神からの良い贈り物です。しかし、私たちがこれらのことを楽しむばかりで、来るべき審判について何も考えないのであれば、私たちの喜びも長くは続きません。ノアの最優先事項は、神が彼に警告した日のために準備をすることでした。そして準備する唯一の方法は、神が言われたことを信じ、神が命じられたことに従うことだったのです。

神はノアに、雨が降り始める七日も前に箱舟に入るように言われました(創世記 7:4–7)。一滴の雨も降っていないときに箱舟に乗り込むことは信仰の伴う行為でした。神の言葉を除いて、箱舟に入るための明白な理由はありませんでした。ノアはむしろばかげていると感じたに違いありません。

しかし、それから雨と共に、地からも水が湧き出てきました(7:11)。砂漠で造られた船と一緒に、ノアと彼の家族も持ち上げられて、新しい世界に連れて行かれました。

箱舟としてのキリスト

洪水は二度と繰り返されることのない審判です(9:8−16参照)。しかし、神はもう一つのもっと恐ろしい審判が来ることについて私たちに警告しています。神がノアに箱舟を提供されたように、神は私たちが最終的な裁きから救われるための道を、イエス・キリストによって提供されています。

箱舟の中にいた人はみな安全でした。箱舟の外にいたすべての人は滅ぼされました。神は私たちにも箱舟を提供してくださっています。イエス・キリストがその箱舟です!

神はノアの伝道を通して、その時代の人々に、中に入れば救われることができる箱舟があると語られました(第二ペテロ 2:5)。同じように、神は私たちにキリストを示し、私たちが彼のもとに来るならば、私たちは救われると告げておられるのです。

使徒パウロは、クリスチャンは「キリストにある者(英訳:in Christ。キリストの内にある者)」(例:ローマ 8:1)だと述べています。ノアが箱舟の中にいたように、あなたもキリストの中にいることができます。裁きの日に「キリストの中にいる」人々は、裁きの間安全に運ばれて、新しい栄光の世界に連れて行かれるのです。

この箱舟は来る人すべてに開かれています。イエスは言われました、「私のもとに来る者を、私は決して外に追い出したりはしません」(ヨハネ 6:37)。ノアの時代の人々には扉が開かれ、機会が与えられていました。箱舟は造られ、コミュニティ全体が救われる可能性があったのです。しかし、ノアの家族以外に、彼の警告を信じる人は一人もいませんでした。

雨から逃れる

何年か前のある日、ロンドンの家で私は書斎に座っていて、次の日曜日の説教を書いていました。外では雨が激しく降っていました。いわゆるロンドン土砂降りです!

老夫婦が家の外の通りを歩いていました。彼らは二人ともレインコートも傘も持っていませんでした。明らかに、不意の雨に見舞われていたのです。彼らは我が家の敷地の端にあった木の下に立っていました。冬でしたので、木には葉がありませんでした。ですから、雨宿りにはなっていなかったのです。

私はコートをつかんで彼らの所に出ていきました。「ここにいては濡れてしまいます。」と私は言いました。 「家に入ってこられませんか?」彼らは私を見て、礼儀正しいイギリス流の英語でこう言いました、「いいえ、どうもありがとう、私たちはここで大丈夫です。」

「でも、ずぶ濡れじゃないですか。中に入って、乾かしてはいかがですか?」と私は言いました。

しかし、何を言っても、彼らを説得することはできませんでした。次第に私も濡れてきましたので、私は家への扉を開けたままにして、彼らが入って来たいのなら、いつでも大歓迎だと彼らに伝え、中に入りました。しかし、彼らはずっと外にいました。今でも、私は彼らが何を恐れていたのか分かりません。

その突然の暴風雨は神の裁きをうまく表しています。外に立っていれば、雨が直接降り注ぎ、すっかり濡れてしまいます。しかし、家の中にいれば、土砂降りは屋根に落ちます。そして、あなたは中にいるので、雨があなたに触れることはありません。

イエス・キリストは、神が私たちに与えてくださった避難所、つまり神の裁きの嵐から身を守ることのできる箱舟です。イエスが十字架で死んだとき、私たちの罪に対する神の裁きはイエスに降りかかりました。そして神は私たちの避難所であるキリストのもとに来るように招いておられるのです。あなたがキリストの中にいるならば、神の裁きはあなたに落ちないでしょう。裁きはすでにイエスに落ちたからです。「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者(の中にいる者)が罪に定められることは決してありません」(ローマ 8:1、斜体追加)。

では、質問です:あなたはキリストの中にいるでしょうか?あなたは、あなたの救い主であり、主であるイエスを信頼していますか?あなたのために扉が開かれているのに、なぜあなたは外に立っているのでしょうか?

開かれました

キリストにおける恵み、信仰、救いは、新約聖書で出現する新しい考えではありません。聖書は一つの物語です。神は恵み深い方です。今までも、これからもそうです。

箱舟は、「キリストにある」とはどういうことかを理解する助けとなります。ノアとその家族が箱舟の中にいたからこそ、神の裁きを無事に通り抜けられたように、私たちもキリストの中にいれば、最後の審判を無事に切り抜けることができるのです。

祈りのひととき

父よ、あなたが創造主であり、は私の人生に対して絶対的な権利を持っていることを信じます。私は悪についての知識を持っており、天国から排除されていることを知っています。私は、来るべき神の裁きがあるというあなたの言葉を信じ、あなたか以外に、他に希望がないということを確信しています。

あなたが恵みによって主イエス・キリストを送ってくださったことを感謝します。私は今日イエスを信じます。私はイエスに全幅の信頼を寄せます。私は、イエスに私の救い主となってくださいと呼び掛けます。あなたの霊によって、私をキリストの中に置き、イエス・キリストを通して私を救ってください。アーメン

創世記6章5−22節

6章5主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。6それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。7そして主は言われた。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜や這うもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを悔やむ。」8しかし、ノアは主の心にかなっていた。

ノアと洪水

9これはノアの歴史である。ノアは正しい人で、彼の世代の中にあって全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。10ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤフェテを生んだ。

11地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた
12神が地をご覧になると、見よ、それは堕落していた。すべての肉なるものが、地上で自分の道を乱していたからである。13神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ようとしている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。見よ、わたしは彼らを地とともに滅ぼし去る。14あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外にタールを塗りなさい。15それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。幅は五十キュビト。高さは三十キュビト。16箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内に天窓を仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、箱舟を一階と二階と三階に分けなさい。17わたしは、今、いのちの息のあるすべての肉なるものを天の下から滅ぼし去るために、地上に大水を、大洪水をもたらそうとしている。地上のすべてのものは死に絶える。18しかし、わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは、息子たち、妻、それに息子たちの妻とともに箱舟に入りなさい。19また、すべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつを箱舟に連れて入り、あなたとともに生き残るようにしなさい。それらは雄と雌でなければならない。20鳥は種類ごとに、動物も種類ごとに、また地面を這うすべてのものも種類ごとに、それぞれ二匹ずつが生き残れるよう、あなたのところに来なければならない。21あなたは、食べられるあらゆるものから採って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物のための食物としなさい。」22ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行った。

これらの質問を使って、神の御言葉との関わりを深めてください。他の人と話し合ったり、自分自身を探るための質問として使ってみてください。

10(全くない)から10(完全に)のスケールで、あなたはどれほど神を知っていると思いますか?あなたはどのくらい自分自身を知っていると思いますか?
2神はノアにどのように恵み/憐みを示しましたか?来るべき裁きについての神の警告を聞いたときのあなたの反応はどのようなものですか?あなたはその警告にどれくらい耳を傾けていますか?
3ノアはどのように信仰を示しましたか?あなたはどのように自分の信仰を現しますか?
4イエスは、どのような点が箱舟と似ていますか?多くの人々が中に入って来ない理由は何だと思いますか?
5あなた自身の言葉で、「キリストにある」ということは何を意味するかを説明してください。
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SCRIPTURE 創世記6章5−22節

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