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牧者(羊飼い) SHEPHERD

エゼキエル34章1−16節

旧約聖書では、預言者、祭司、王という三つの明確なリーダー的役割があります。預言者は神の御前に立って、神の言葉を聞き、人々にその言葉を伝えました。預言者は真理の領域でリーダーシップを発揮しました。

祭司のミニストリーは、礼拝に関係しています。彼らは神殿で祈りと犠牲を献げ、牧者としてのケアとカウンセリングを通して人々を神の御前へと導きました。

王は人々を戦いに導き、また敵から守りました。彼らにも人々を正しい道へと導き、神の祝福に与り続けることができるようにする責任がありました。

この三つの役割をまとめると、神がリーダーに求められていることが見えてきます。預言者は人々を真理に導き、祭司は人々を神に導き、王は人々を義に導く役割がありました。預言者の働きは説き明かすことにあり、祭司の働きは和解をもたらすことにあり、王の働きは統治することにありました。

羊飼いリーダー

聖書が預言者、祭司、王の役割を通して語るリーダーシップの三つの側面を、羊飼いは見事に象徴しています。

羊飼いは羊に餌をやります:神の言葉という健康的な食事で神の民を支えます。羊飼いは羊を探します:失われた羊を見つけ、それを連れ戻します。羊飼いは羊を導きます:群れに進むべき方向を示し、保護します。ですから、神が羊飼いについて語るとき、民を導くことに関するすべてのことについて語っておられるのです。

従業員が職務をどのように遂行したかを毎年評価し、査定するシステムが、ほぼすべての職業に存在します。神はイスラエルの牧者に大きな責任を委ねていて、エゼキエル34章で彼らの仕事ぶりの評価を行っています。それは良い評価ではありませんでした: 「人の子よ、イスラエルの牧者立ちに向かって預言せよ。予言して、牧者である彼らに言え。『神である主はこう言われる。わざわいだ。自分を養っているイスラエルの牧者たち。牧者が養わなければならないのは羊ではないか。』」(エゼキエル 34:2)。

神は、民のリーダーたちに三つの容疑をかけられました:権力の濫用、真理を歪曲、そして主の軽視。

権力を濫用するリーダー

神の民は、継続的な虐待に苦しみました。多くの王は邪悪であり、優れた王であっても民に大きな負担をかけました。神は、民の群れの世話を完全に怠ったとして彼らを告発しました:「弱った羊を強めず、病気のものを癒やさず、傷ついたものを介抱せず、追いやられたものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくで、しかも過酷な仕方で彼らを支配した。」(34:4)。

神の真理を歪めるリーダー

また、預言者であると自称し、神の言葉を彼ら自身の意見と置き換えた者たちを、神は告発されました:「人の子よ、預言をしているイスラエルの預言者どもに対して預言せよ。自分の心のままに預言する者どもに向かって言え。『主の言葉を聞け。神である主はこう言われる。わざわいだ。自分で何も見ないのに、自分の霊に従う愚かな預言者ども。」(13:2−3)。

このリーダーたちは、当時の文化を研究して人々が何を聞きたがっているかを調べました。そして、その時代に人々が最も求めているメッセージを提供したのです。エゼキエルの時代、この預言者たちは、神が平安がないと宣言したときに、「平安」と言って民を惑わしました(13:10)。神が言ったことは、彼らにはどうでもよかったのです。彼らのミニストリーは、真実によってではなく、民の要求に動かされていました。

主を軽視するリーダー

祭司たちは民を神に導く役割を与えられていましたが、人々が神との平安を見出せるように助けるのではなく、自分自身を受け入れ平安を持てるよう導くことに集中しました。彼らは祈りによるミニストリーをせず、神と和解する方法を人々に示すこともしませんでした:「その祭司たちはわたしのおしえを冒瀆し、わたしの聖なるものを冒し、聖なるものと俗なるものとを分けず、汚れたものと、きよいものとの違いを教えなかった… こうして、わたしは彼らの間で汚されている。」(22:26)。

神がイスラエルの牧者たちを見たとき、恐るべき権力の濫用、真理の意図的な歪曲、そして神ご自身を軽視している実体をご覧になりました。このすべての結果、神の群れは栄養不良になり、羊たちは世話をされることなく、保護もされていませんでした。

新しい牧者の時代

神は民の置かれている状況が耐え難いものだと見て取り、介入することを決心されました:「わたしがわたしの羊を飼[う]… 神である主のことば」(34:15)。神はこう宣言されているのです、「わたし自身がわたしの民の預言者、祭司、王になる。わたしが自ら彼らに真理を伝える。わたしが民のところに行き、自ら彼らの世話をする。わたしが彼らをこの手で保護し、正しい道に導く。」

神はどうやってそれを達成するのでしょうか?物語をさらに600年先に進めると、イエス・キリストがこの世界に生まれます。彼は、神の民が「羊飼いのいない羊の群れのよう」(マタイ 9:36)であることを見て、彼らをあわれまれました。「わたしは良い牧者です」(ヨハネ 10:11)と、イエスは言われました。「わたしの前に来た者たちはみな、盗人であり強盗です」(10:8)。彼らは羊を不当に利用しましたが、イエスは羊のために命を捨てました(10:11)。彼らは羊を屠りましたが、イエスは羊が命を得るために来られました(10:10)。

イエスは羊を養い、羊を探し、羊を導く良い牧者です。イエスは真理であなたを養います。あなたが迷い出たとき、イエスはあなたを連れ戻し、あなたをもとに戻されます(ルカ 15:5−6)。イエスはあなたを敵から守り、死が来たらあなたを永遠の命へと導き入れます:「わたしの羊たちは… 決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。」(ヨハネ 10:27−28)。

虐待的なリーダーシップ

イエスは、虐待的なリーダーの下で苦しんでいる人々に対して特別な優しさを持っておられます。それは、ご自身が虐待的な牧者の下で苦しむことがどういうことであるかを知っておられるからです。大勢の群衆がイエスのもとに引き寄せられて行ったとき、当時の宗教指導者たちは、自分たちの群れを奪われる危険性を察知しました。そこで、彼らはイエスを逮捕させ、良い牧者が、イスラエルの牧者たちによって裁判にかけられたのです。

イエスが大祭司カヤパの前で裁判にかけられたとき、イエスは唾をかけられ、拳で殴られ、平手で打たれました(マタイ 26:67)。イエスがヘロデ王のもとに送られたとき、王はイエスを弁護するために何もされませんでした。イエスがピラトの前に連れて来られたとき、総督は真実に関心を示しませんでした(ヨハネ 18:38)。ピラトの判断は、正義ではなく、民衆に浸透していた心理状態に基づいて決められました。ピラトは手を洗い、イエスを十字架につけるために引き渡しました。

あなたの救い主は、権力を濫用し、真理を歪め、神よりも自分のことを大切にする牧者の下で苦しむことがどのようなことかを知っておられます。もし、虐待的なリーダーの下で苦しんでいるなら、あなたには頼れる救い主がいます。

良い牧者 

良い牧者であるイエスは、次のように言われます:「わたしは失われたものを捜し、追いやられたものを連れ戻し、傷ついたものを介抱し、病気のものを力づける。肥えたものと強いものは根絶やしにする。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う」(エゼキエル 34:16)。

失われたものというのは、自分がどこにいるのか分からず、自分がいるべき場所に戻る方法が見つけられないということです。もし今、自分が失われていると感じるのであれば、イエスはあなたを捜し、救うためにやって来てくださったのです。そして、あなたが自分をイエスに明け渡すなら、イエスはあなたを連れ戻してくださいます。

追いやられたものとは、他の羊から離れてしまったことを意味します。あなたは孤立していて、一人だからこそ脆弱なのです。しかし、イエスはあなたを連れ戻すことができます。

傷ついたものとは、あなたの人生で、あなたを本当に痛めつける何かが起こったということです。権力を濫用したり、真理を歪めたりした人に傷つけられたのかもしれません。イエスは今日あなたに言われます、「あなたの傷を介抱しよう」。「私の傷は深すぎる!」と思うかもしれませんが、キリストが癒せない傷はありません。

病気のものとは、やるべきことを達成する力がないということです。今週どのように人生と向き合えばよいのか分からないとき、イエスはあなたに力を授けることができます。

神の御子に完全に所有され、監督してもらっているというのは、何と素晴らしいことでしょう。「主は私の羊飼い」と言えるようになったとき、「私は乏しいことがありません」とも言えるようになります(詩篇 23:1)。

しかし、「肥えたものと強いものは根絶やしにする」と神は言われます。肥えたものと強いものとは、牧者など必要でないと思っている人たちのことです。神は権力を濫用する者と、神の支配に抵抗する者に正義をもたらします。

開かれました

神の群れを牧することは、預言者、祭司、そして王としてのミニストリーが必要とされます。教会の中でリーダーとしての責任を神に託された人は、自分の立場を濫用してはなりません。自分の見解を教えたり、民の霊的な必要を無視したり、不必要な負担を課したりすることは特権の濫用です。

有能なリーダーは、神の真理を教え、民を牧し、神に喜ばれる道に群れを導きます。彼らは羊のために命を捧げた偉大なる牧者、イエス・キリストに対して責任を負っているので、これらの義務を達成することに集中します(使徒 20:28)。

エゼキエル34章1−16節 

イスラエルの羊飼いに対する預言

34章1次のような主のことばが私にあった。2「人の子よ、イスラエルの牧者たちに向かって預言せよ。預言して、牧者である彼らに言え。『神である主はこう言われる。わざわいだ。自分を養っているイスラエルの牧者たち。牧者が養わなければならないのは羊ではないか。3あなたがたは脂肪を食べ、羊の毛を身にまとい、肥えた羊を屠るが、羊は養わない。4弱った羊を強めず、病気のものを癒やさず、傷ついたものを介抱せず、追いやられたものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくで、しかも過酷な仕方で彼らを支配した。5彼らは牧者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となった。こうして彼らは散らされた。6わたしの羊はすべての山々、すべての高い丘をさまよった。わたしの羊は地の全面に散らされ、尋ね求める者もなく、捜す者もない。7それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。8わたしは生きている──神である主のことば──。わたしの羊はかすめ奪われ、牧者がいないために、あらゆる野の獣の餌食となってきた。それなのに、わたしの牧者たちはわたしの羊を捜し求めず、かえって自分自身を養って、わたしの羊を養ってこなかった。9それゆえ、牧者たちよ、主のことばを聞け。10神である主はこう言う。わたしは牧者たちを敵とし、彼らの手からわたしの羊を取り返し、彼らに羊を飼うのをやめさせる。もはや牧者たちが自分自身を養うことはなくなる。わたしは彼らの口からわたしの羊を救い出し、彼らの餌食にさせない。』」

主なる神は彼らを捜し求める

11まことに、神である主はこう言われる。「見よ。わたしは自分でわたしの羊の群れを捜し求め、これを捜し出す。12牧者が、散らされた羊の群れのただ中にいるときに、その群れの羊を確かめるように、わたしはわたしの羊を確かめ、雲と暗黒の日に散らされたすべての場所から彼らを救い出す。13わたしは諸国の民の中から彼らを導き出し、国々から彼らを集め、彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその地のすべての居住地で彼らを養う。14わたしは良い牧草地で彼らを養い、イスラエルの高い山々が彼らの牧場となる。彼らはその良い牧場に伏し、イスラエルの山々の肥えた牧草地で養われる。15わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らを憩わせる──神である主のことば──。16わたしは失われたものを捜し、追いやられたものを連れ戻し、傷ついたものを介抱し、病気のものを力づける。肥えたものと強いものは根絶やしにする。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。

これらの質問を使って、神の御言葉にさらに触れてみてください。他の人と話し合ったり、自分自身を探るための質問として使ってみてください。

1神は人生のどの分野で、あなたにリーダーシップの特権を託しておられますか?(家族、職場、教会、コミュニティなど)
2預言者、祭司、王の役割はどのようなものでしょうか?あなたが最も得意とするのはどの役割ですか?
3あなた自身、虐待的なリーダーシップのもとで苦しんだことがありますか?そのことはあなたをどのように影響しましたか?
4イエスを目を向けたとき、助けを求めるように励まされることはありますか?それはイエスのどのような部分ですか?
5「失われた」、「追いやられた」、「傷ついた」「病気」のうち、最も共感できる状態はどれですか?
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SCRIPTURE エゼキエル34章1−16節

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